うたうということ


新しいホームページを開設してはじめてのブログ。


音を立てて動き出した古時計の音。

あのガチャリという音を忘れない為に。

今の正直な思いを綴りたいと思います。



オイラ、1月から体調を崩してしまってね。

本当に多くの方にご迷惑をおかけしてしまったの。



少しずつ回復の兆しが見えてきたそんな折。

越路姉妹と竹原ピストルのツーマンライブを観に行ってきたんです。



敬愛するウタウタイ、越路姉妹のボーカルヨーコの粋な計らいで、オイラにとって、これ以上はないタイミングで観に行ける運びとなったんだ。



この日、竹原さんは、恐ろしい程の謙虚さでステージに立っていた。着の身着のままでセンターに立ち、ギターを掻き鳴らす前腕からは汗が滝のように滴っていた。そして、魂を絞り上げるようなその歌は、この後に及んでも尚、人が生き続けようともがく偉業を讃え、そんな人々を、己の人生をかけて肯定するようなそんな歌だった。静かな曲なのに客席から挙がる拳。それが全てを物語っていた。



そして、越路姉妹。

第一線で活躍するミュージシャン達と神様に選ばれてしまった男、ボーカルヨーコによる極上エンターテイメント集団。紡ぎ奏で歌うその人間讃歌に触れると全てを許されたような気持ちになる。



ややこしいので一度説明を。

越路姉妹のヨーコは身も心も正真正銘の男。

っていうか、男の中の男。

そんな男がこんな形相で歌います。



先日、初老の殿方に

「キミはなんでそんな格好をしてるんだい?」と尋ねられ

「自分でもわかりません。」

と答えたとのことです。



この日、久しぶりにヨーコの歌を聴いて

嗚呼、、、彼女(いや、彼、ややこしいわっ!!!)は超えてしまったんだなと思った。



この人はココにいかなければならないほどのものを潜ってきたんだなと。



それはどれほどの痛みなのだろう。

どれほどの懺悔だというのだろう。

そして、どれほどの孤独と愛を知ったというのだろう。




この日、彼らの歌を聴いて

自分が今、何をすべきなのか。

いや、「すべき」ではなく

自分が「したい」ことは何なのか。

それがはっきりとわかった。



信じているもの。

いつも心の根っこにある変わらないもの。



それがわかった瞬間

オイラの心は不思議なくらいの静寂に包まれた。



そこにはもう恐怖も惨めさもなく

ただ信じ、愛し、歌うこと。



その忘れかけていた小さな誇りのようなものが

いつかのエコーみたいに

オイラの中に響いていた。



竹原さんが言ってくれた。


「お互い頑張りましょう」


と。




そして、ヨーコが言った。


「あたし達はね、歌うしかないのよ。

だから歌いなさい。

歌って、その想いの全てを成仏させなさい。」


と。




来たる 4月20日 土曜日。


オイラが長い間

ずっとやりたいと思っていたイベントを開催します。


そこにはオイラが心から信じている音楽人

そして、その人達が奏でる音楽があります。


そこにはもう

それしかありません。


その純度の高い音楽の時間をね

みんなに届けたいんだ。




もつれた糸をほどく時の痛み。

光のない真っ暗な世界。



それでもぼくらが生きることをやめないのは

きっと、この期に及んでもまだ

愛することをあきらめたくないからなのでしょう。



そして、歪め、損ない、手放してしまったその先で

自分はこんなにダメな人間なんですと

こんなに小さな人間なんですと

だれか助けてくださいと

そんな無様な姿をさらけだすたびに



だれかが添わせてくれたその心から

肩に触れたその手のあたたかさから

ぼくらは知ることができるのだと思います。



世界はこんなにも優しかったんだと。



竹原さん、越路姉妹。

歌っていてくれてありがとう。



ヨーコ、オイラ、歌うね。

この愛しい物語を。